「茶」の病い
一
茶道を讃美した文章は沢山ある。それに心酔した記事は更に多い。併し茶
道を批判したものは案外少ない。罵倒したものは多少あるが、それは心酔し
たものと共に、批判的だとは云えない。近頃は歴史的なものが中々多く、利
休に関する根本史料の集録とか、茶室に関する調査とか、学術的なものが現
れるに至った。慶賀すべきことであるが、併しこれ等のものと雖も充分批判
的だとは云えぬ。始めから利休を無条件に有難がっていたり、古い茶室と云
えば一途に美しいものと思いこんでいたりするような場合が多い。それ故茶
道に関しては、まだまだ考察が加えられてよい。私の見るところでは茶道の
歴史は功罪相半ばしているのである。特に近年益々その道が流行するに及ん
で、弊害も著しくなってきたから、是非を見分け、かつ理解が欲しい。
二
誰も「茶道」とは呼ぶが、今は「道」はどこかに匿れて、せいぜい「茶の
湯」があるに過ぎなくはないか。東洋人は凡ての芸を道に高める要求が強く、
弓術は弓道となり、剣術は剣道となり、活花は華道となり、同じように茶の
湯を茶道に高めた。芸を追えば道に達するのが必然で、道となってこそ芸の
大成があるとも云える。それ故当然「茶道」の二字を標榜してよい。併し
「道」は至道で、茶人なら誰でも近づき得るような安価なものではあるまい。
道であればあるほど深玄で、安々と分かる筈がない。それ故今行われている
のは、せいぜい「茶の湯」で、「茶道」にまで徹した「茶の湯」とは云えぬ。
茶の家元とか師匠とかを任じる人々が随分多いが、その大概はたかだか上手
に茶事を行うというに過ぎなく、「道」をまで示す茶礼に高まっているとは
思われぬ。
それが道に達する時、よく禅が云々され、いつも「禅茶一味」が説かれる。
私も誠にそうあるべきだと思う者の一人であるが、禅と通じる「茶」であれ
ばあるほど、普通の人は近づき難い筈である。随分参禅に苦労した人でも、
容易に悟入出来ぬ禅境である。所謂野狐禅が多いのは今も昔も変わらぬ。茶
人であれば、誰でも禅味を解せると思うのは、愚かなうぬぼれに過ぎまい。
「茶」が「道」であればあるほど似非(えせ)茶が多いのは必定である。今
は無数の師匠がいるが、そのうちの何人が、禅茶一味を解しおおせているの
であろう。誠に心もとない次第である。もともと禅録などはろくに読まぬで
あろうし、又読めもせぬであろう。読んだとて分かりかねることだらけでは
あるまいか。茶道などと大それたことを云わずに、もっと謙遜深く茶の湯ぐ
らいで沢山なように思われる。その茶の湯さえも、あやしいものが多いでは
ないか。上手に点茶が出来ると、ひとかどの茶人となるが、私から見ると点
茶の様式それ自身にも随分いやらしいもの、態とらしいもの、きどったもの
など、沢山のかすが残っていて、それ等をもっと洗い清める必要があるよう
に思われてならぬ。
若い女達が一つのたしなみとして茶の湯を習うことは甚だよいと私は思う
が、茶の作法に慣れると、ひとかどの茶人だと思いこまれてはたまらない。
道はもっと厳格なものであり、深玄なもので、なま易しい修行では分からぬ。
特に心の修行が必要となると。点茶が上手になっただけでは、どうにもなら
ぬ。この頃のように安っぽく師匠の許しを与えるようでは、道が乱れる。そ
れに茶会というと若い女達が競ってきらびやかな着物を着てくるなどは、凡
そ「わび茶」からは遠い風景である。
三
「茶」の世界で最も閉口することの一つは、茶事に巧者になると、もう一
人前の茶人だと思い込まれることである。「茶」には茶室、露地、道具、所
作、その他に関し、こまごました約束がいつとはなしに出来上がっているの
で、その来歴や様式などを詳しく知ることが、自慢になってくる。これは余
程魅力のあるものと見えて、誰も巧者になりたがる。又聞く方も、色々詳し
い約束などを聞かされると感心し、宛ら茶道の蘊奥を極めた人のように受取
る。それで自身でも茶事に巧者になると茶人たる資格が出来たように思い込
んで了う。そういう人はえて雄弁となり講釈好きになるが、併しそれは物識
りというまでであって、それが直ちに茶人の資格にはならぬ。知識の蒐集が
即ち茶道に徹する所以ではない。本質的なものは、知識だけでは掴めぬ。そ
れは宗教に於ける信仰の場合と同じで、宗学のことが詳しくなっても、それ
が直ちに信仰の内容にはならぬ。倫理学に詳しいことは、直ちに道徳家を意
味するものではない。これと同じ関係ではないか。それに茶事に巧者な人の
通弊として、自慢が多く、他人への侮蔑が強く、「茶のことは己れに聞かね
ば」といった風がひどい。併しそういう人は、到底真の茶人とはなれないも
のであって、結局は浅薄な人間だというに過ぎまい。本当の茶人であるなら、
もっと淡々とした趣きが出よう。いくら知識を持っていてもよいが、知識の
持主は、とかく知識に倒れるものであって、知識以上には出難いのである。
茶に巧者になったら、危険信号を心に掲げてよい。それに溺れる危険が大に
あるからである。巧者になると、えて物識りに遊ぶことになる。そんな遊戯
に茶の道があるのではない。もっと厳しく自分の態度に批判を加えてよい。
誰でもとかく巧者の病いにかかり易い。いくら巧者になってもよいが、巧者
に縛られて、心の自由を失っては人間としての下落である。畢竟、「茶」も
人間の清さ深さのことにかかる。
四
茶人は風流人だという。風流の世界に住むことは、風流を知らぬ人より、
慥かに一天地を別に持っているのであるから、こういう人の存在は一つの価
値である。併し風流にも亦色々と弊害が多いことであるから、気を附けねば
ならぬ。風流の境地は何か脱俗的な所があって、打算の暮しとは違う。だか
ら風雅な暮しは利慾を去った所があって、俗に落ちない点で、当然慕われて
よい心境である。併し風流直ちに俗でないかというと、必ずしもそうは云え
ぬ。少なくとも風流がきどりになったり、意識して風流ぶったりすると、既
にいやみなもので、却って俗気芬々たるものがあろう。風流人は自から取す
ました者が多いが、併しそれが露わだと、風流を濁して了う。風流人はきど
りやでは未だ駄目である。
俗に在って俗に落ちず、地上にあって悠々別天地を持つ者こそ風流人であ
る。風流人はそれ故自からの風流をも忘れる底の人でなければなるまい。風
流を意識し風流に留まる如きは、風流人ではない。風流に執するなら新たな
俗気である。今の茶人達は、茶人だというような意識や身形や所作が余りに
強く、これが却って彼等を茶人にさせない。茶人ではない茶人、風流人では
ない風流人がどんなに多いことか。それ故不思議なことであるが、茶人には
俗人が中々多い。茶臭に滞る似非茶人がどんなに夥しくいることか。真の茶
人が脱俗的な人であるなら、寧ろ茶人気取りなどはせぬであろう。気取りや
の茶人ではこまる。否、かかる人に茶人たる資格はあるまい。真の茶人はもっ
と尋常の人であろう。尋常の域に住める人こそ茶人であると云ってよい。
「茶」に滞る「茶」は、もともと「茶」ではない。従って茶人たることに執
する茶人も、茶人たることは出来ない。今の茶人に、淡々たる「茶」を行い
得る人が何人あろうか。だから真の風流人は風流を気取らない風流人でなけ
ればならない。その意味で寧ろ風流を絶したものであろう。禅の言葉に「風
流ならざる処、また風流」というが真(まさ)にそうである。事無き心境に
住む者をこそ風流人と名づけてよい。
五
これと共に省みねばならないことは、茶事を好む人に、茶に婬する人が非
常に多いことである。婬するというのは、溺れることである。或る意味から
すると、溺れるほど熱中する所によさもあろうが、併し溺れるために茶の道
からはづれて了っては何もなるまい。婬することの一番の弊害は、「茶」で
自分を縛って了い、全くそれ以外に出られぬ不自由に陥ることである。私の
知人で「茶」に巧者になり、「茶」に耽ったため、全くものの見方の駄目に
なった人がいる。それが一人や二人ではない。「茶」は美しさの境地にあり、
又「茶」で愈々美しさが分かるようになる筈なのに、逆にそれがために美し
さを見る眼の自由を失う人がいる。なぜそうなるかの簡単な理由は、見方を
「茶」で縛るからに外ならない。真の「茶」は見方の解放であるべきだが、
「茶」に婬すると「茶」に囚えられて了い、あがきがとれず、極めて不自由
になるのである。謂わば色眼鏡をかけて了うようなもので、その色以外のも
のが見えなくなるのである。寧ろ色を捨てるのが茶道の立場である筈だが、
自から「茶」という牆(かき)を作って、それに立てこもり、外を見ようと
せず、又外に出られないようにさえして了う。自由が茶道の見方の本体であ
るべきなのに、却って「茶」で自縄自縛する。そのため見方は狭く片寄り、
却って眼を濁して了う。それ故「茶」に溺れた人は、真の「茶」の美をも見
逃して了う矛盾に陥る。不思議な悲劇である。「茶」に滞る人で、ものの見
える人はないと云ってもよい。自由がなければ、ものがまともに見える筈は
ない。「茶」に婬している人の見ている美は、曲がった美に過ぎない。禅は
無碍を説くが、茶道も別の教えを宣べるのではない。それ故、「茶」に婬し
た人は、寧ろ「茶」を乱す者、「茶」に叛く者、「茶」を浅く受取る者、と
呼んでよい。「茶」以外に出られぬ「茶」、「茶」と「茶」に縛る「茶」、
そんな「茶」は「茶」ではあるまい。禅に執する時、禅は去って了う。「茶」
は「茶」に囚われるような「茶」であるべきではない。無碍に活きることで
「茶」が始めて道に達するのである。
六
「茶」はいつも礼に結ばれる。「茶」が法に交わると自から茶礼になる。
礼は法であり式であり型である。点茶が法に適うようになるということは、
所作が煮つまって、凡ての無駄が省かれ、なくてならぬものだけが残ること
である。それが結晶されると、自から型を産んでくる。ここに茶礼が生れる。
茶礼は所作の形式化とも云える。形式という言葉は、とかく誤解を招き易
く、私共はそれをしばしば「模様化」と呼んでいる。「茶」の型は所作の模
様化である。模様というのは、ものの姿を煮つめた形で、謂わば単純化、要
素化したものである。その要素的なものが強調されて表現されると自から模
様に入る。「茶」の所作が、元素的なものに還元されてゆくと、「茶」の型
が生まれる。それ故、型を去って茶礼はないとも云える。どうしてもそうな
る必然さがあるのである。この型が幾人かの茶祖によって幾つかに分かれ、
流派を生じた。
併しここで充分に型の性質を識らないと、大変な誤謬に陥る。型は定型と
も云えるので、一種の決定された様式になる。併しこの様式は実は必然さが
そこに導いたのであって、無理して形を整えたのではない。動作を一番無駄
のない本質的なものに還す時、一定の型に納まるというまでなのである。そ
れ故、必然さを離れた型は、真の型ではない。型は寧ろ当然なもの、どうし
ても自からそうなる自然さを持ったものと云わねばならぬ。それ故その背後
にある必然さを失うと、型は単なる形式に陥って、自然さに背いて了う。形
に執すると不自然に落ちるのはそのためである。型は静であるが、その静は
動の煮つまったものであることを忘れてはなるまい。動のない静は単なる停
止であり枯死である。ここが、茶礼のむづかしいところであろう。自然さと
不自然さとが、型で背中合わせになっているとも云える。紙一重の差である
が、それが天地懸隔の差となってくるのである。
茶の湯を習うのは、型を習うことから始まる。又型で教えてこそ、その伝
統が承け継げるのである。それ故、型をやかましくいう。点茶を習うのは如
何に所作の型を会得するかにかかっている。慣れぬと始めはぎこちないのは
当然である。順次を間違えたり、固くなったりする。併しこれ等のことは、
器用不器用にも依ろうが、誰でも型を繰返すことによっていつかは修得する
ことが出来よう。只問題はその型が、元来の必然さとどれだけ連結するかに
かかる。
残念なことに、所謂茶人の点茶を見ていると、型を示そうとするためか、
無駄な所作に走るものが多い。型が必然を超えて、意味のないまでに誇張さ
れる。凡ての型は何等かの意味で強調であるから、型の所作には「そらごと」
があるとも云える。併しこの嘘は真実を示す限りに於いて、存在理由をもつ
嘘であって、単なる「そらごと」ではない。併しその誇張が一旦度を越える
と、真実に背いて了う。そうして必然さを破って、無理なものに落ちて了う。
型が必然さである限り、それは無駄を持たない。然るにこの明白な意味が、
今はどんなに無視されていることか。
しばしば吾々は無駄な所作に会う。時としては態とらしい型に会う。時と
してはいやらしい誇張に会う。時としては気取った仕種(しぐさ)に会う。
例えば茶筅を洗う時など、よく大げさな無駄な形を見かける。遠州流などそ
の典型的なものであるが、型の意味を忘れ去ったものであって、その弊害が
余りにも露わである。かかる無益な態とらしい誇張は、「茶」にとって一つ
の邪道であるのは言うを俟たない。私達は型をもっと自然さに戻すべきであ
る。外から型を受取らずに、内からそれを表すべきである。形からのみ近づ
いて、心を忘れるなら、それは真実の型にはならぬ。「茶」を形式の「茶」
に落としてはならぬ。もともと型は単なる形式ではない。形式なら死型に過
ぎまい。大切であるべき型の心を殺す罪を犯してはならぬ。形に流れる「茶」
は「茶」を醜いものにして了う。
七
茶人達は銘が好きである。ここで銘というのは多くは二通りの意味があっ
て、茶人が茶器につける固有名詞と器物に記された作者名とである。茶人が
器物に銘を与えて、その名で呼ぶのは、別に悪いわけはなく、他の品と区別
する上に便宜な点もあろう。併しその名のつけ方は皆よいとか美しいとかは
決して云えない。人名のものは一番無難で、例えば井戸茶碗に「喜左衛門」
とか「坂部」とか「宗及」とか呼ぶものがある。やや陳腐だが「夕陽」とか
「残雪」とか「七夕」とか詩的な名をつけた茶器がある。併し中には「うづ
くまる」だとか「さびすけ」など呼ばれるものがあって、銘が一種の遊びに
落ちたものがある。大体茶器にはそういう銘が多いが、一種の思いつきや駄
酒落のようなもので、余り感心したものではない。そういう名のつけ方は、
やがて「茶」の歴史を物語るものであって、当時の「茶」の内容がどんなも
のであったかが浮かぶ。銘を調査し分類し、それを時代順に配列するとした
ら、きっと各時代の「茶」の風をさえ窺うことが出来ると思うが、それは恐
らくは堕落の跡を示すに過ぎまい。必要があるならやはり所持者名とか地名
とかで呼ぶぐらいが無難であろう。
このほか作者名を尊ぶ習慣のあるのは誰も知る通りで、仁清とか道八とか
了入とかその他知れ渡った名が沢山ある。又記銘のないもので作者を考証し
たものも多く、又誰々作と言い伝えられるものも甚だ多い。何れにしても在
銘のものの値打ちを高く買うのが習慣である。併し、誰も知る通り「大名物」
の大部分に作者名は記してない。誰の作だかは全く分からぬ。このことは個
人の名など少しも必要のない品物であったことを語る。そういう品々に非常
に優れたものがあると古い茶人達は云っていたのではないか。在銘などは少
しも茶器の第一条件ではないのである。実際在銘の品より無銘の品の方に遥
かに勝ちみが多いのは注意されてよい。在印は茶器の歴史に於いて、そんな
に有難い美の保障とはなっておらぬ。
このほか文字に依るものに箱書があって、作者のみならず、有名な茶人の
極めなどのあるものが悦ばれる。そのため家元の箱書が金で買われるように
さえなる。この種の箱書は、連想を起こし一種の情操を誘うものである。誰
誰所持など伝承を尊ぶ風にも、何かゆかしい点がある。併し注意しなければ
ならないのは、かかる箱書を悦ぶことと、物そのものの美を悦ぶこととは別
であって、箱書があると、直ちに物がよいと思い込んだり、又箱書がないと、
もの足りなく感じたり、又箱書に便って始めて物を見たり、又それがないと
物の良し悪しに不安を感じたり、更に箱書のない物を振り向かなかったりす
るようになると、一つの弊害だと云ってよい。箱書を愛することはよいが、
物以上にそれに執したり、物をぢかに見ずに箱書だけを大事に考えるように
なっては、甚だ心もとない。初期の大茶人達は、箱書などに便って物を見た
わけではない。そんなものは後に出来たので、彼等の値打ちは、全く物その
ものをぢかに見たことによる。
今日のようだと、箱書のために、寧ろ物を見る眼が濁り、遂には物が見え
なくなるようなことが起こる。肝腎なのは、物を先づぢかに見ることである。
箱書に便らずに物を見得て後に、始めて箱書を見るようにする方がよい。箱
書が先だと観念的な先入観が出来て、それだけ物がぢかに見えなくなる。箱
書などなくても充分物が見えるようにすべきである。別の言葉で云えば、見
る眼の方に権威があるべきで、箱書に権威を持たせるべきではない。箱書は
眼の力の補いぐらいで沢山である。
だから箱書が「茶」の歴史では、眼を曇らせて来たとも云える。そんなも
のを後生大事にせずに、直接物そのものに触れるようにすべきである。私の
考えでは、初期の茶器以来、段々その格が下がるのは、余りにも箱書や銘に
沈んで、物をぢかに見る習慣を喪失したことに起因すると思われてならぬ。
若し代々の茶人達がぢかに物を見ていたら、茶器の歴史は、遥かに大きな発
展を遂げていたであろう。「大名物」に匹敵し得る新大名物を色々選び出し
得たに違いない。それを成し得なかった理由の一つは、慥かに箱書や銘に滞っ
たためだと考えられる。茶人達は須らく、物をぢかに見るべきである。本来
そういう力を持った人をこそ茶人と呼ぶべきではないか。銘は惜しい哉、し
ばしば茶人達への桎梏となった。銘や箱書はあってもよいが、それに縛られ
るのは誠に腑甲斐ない。
八
茶の湯のあるところ茶器が必ずこれに伴う。作り、売り、用い、楽しまれ
た茶器の量は夥しい数にのぼるであろう。併しその種と量とに対して質を追
うと、果たしてどれだけのものが残るであろうか。茶の湯はいつも名器を求
め、或ものには「名物」の位をすら与えた。そうしてその美しさを讃え、こ
まごまとその性質を述べた。今日著わされている書籍、図譜の類も一つや二
つではない。名器はこんなものだということが、ありありと示されているの
である。それに茶人を以て任じる人々は誰よりも「名物」の功徳を知りぬい
ているわけである。
だが不思議なことに、茶会に列していつも閉口することが一つある。それ
は用いられる茶器に実はろくなものがないことである。たまに名器に廻り会
えても、同時につまらぬ品も用いてあるので、失望を禁じ得ない。どうして
こうまで茶器が低調になり、その低調になったものを、うやうやしく用いた
りするのであろうか。これは近代の一般の傾向と云おうか。一番沈滞して来
たのは眼力で、随分目にあまる品をまで有難がっていることが多い。どうし
てこんなことになるのであろうか。
私は色々な茶人にも会い、茶会にも時折招かれるが、眼の方で恐ろしいと
思った茶人にまだ出会ったことがない。どこかに誰かいるのであろうと思う
が、家元と号するような大家でも、眼の方は実に怪しい。立派にしつらえた
茶会でも、その肝腎の名器が、つまらぬ品々ときっと一緒に混じるので全く
裏切られて了う。私は何も「名物」の位に列したものが揃わねば、よい茶会
にはならぬなどというのではない。少しも知られていない無銘の品でも、充
分筋の通った選び方をすることが出来るから、著名な茶器など所持せずとも、
よい茶会は出来るのである。所が大概は筋が通らぬのである。謂わば出鱈目
なのである。選ぶ眼力のない証拠である。
茶人だと任じるからには、こんな矛盾があるのはおかしい筈だが、実際に
は盲目の茶人がとても多いのである。彼等が用いる茶器を見ていると、うた
た末世の感がしてならぬ。どうしてこうまで眼力を失ったのであろうか。尤
もこの眼力が衰え出したのは既に早く、所謂「中興名物」などを見ると、如
何に格が落ちていることか。
大体茶の湯では器物に心を入れ、これを大切に扱う風習のあるのは非常に
よいことだと私は思う。物に対して甚だ親切である。茶人は決して茶器を粗
末にしない。これだけでも茶の湯の大きな功徳だが、併し茶室で御茶器拝見
の段になると、私はいつも倦怠を感じる。よい品が現れると人一倍眼の覚め
る方だが、こまったことに大概は品物がつまらない。箱書、添書で勿体をつ
かたものが中々多いが、めったに「これは」と思うものに出会わない。そん
なものを態々うやうやしく拝見させられては退屈である。併し当の茶人達は
ひとかどの名品を用いているつもりなのである。よいと思っているからこそ、
用いもし見せもするのであろう。尤も茶器のことであるから、何か見処あっ
て用いているので、どこかに雅致を認めてのことであろう。だがその見処が
多くは低調なのである。これが私にはこまる。点茶の練習も大切だが、今の
「茶」にもっと大切なのは眼の修行ではあるまいか。醜い器を美しいと思い
込まれていては、茶の湯も興ざめである。
九
嘗て私が「茶道を想う」という一文を公にした時、私の見方が余りにも器
物中心だと云って詰られたことがある。尤もその人は眼の利かない人であっ
たが、想うにその主張は、茶の湯は寧ろ心の天地に悠々遊ぶことにあって、
用いる器物はたとえ月並なものでも「茶」の心を味わえばよく又それで充分
味わえるのだというにあるらしい。それ故器物は決して一義的なものでない
から、茶器の佳し悪しなど見えなくとも、茶人たることが出来ると云ってい
るのである。
なるほど器物の美が見えたとて、それですぐ茶人の資格がそなわるわけで
はない。又こった茶室で結構な名器を用いたとて、それがすぐよい茶会とは
ならない。時には粗末な室で有合せの器で「茶」を楽しむ時、一段と茶心に
活きる場合もある筈である。器物が如何に揃っても、只それだけではよい
「茶」とはならぬ。だからと云って器物はどんなものでもよいかというと、
これも亦本当の「茶」からは遠い。
茶は始め薬として飲むことに起こったのであるから、元来飲むことで目的
が果たされ、どんな椀を用いるかは二次的なこととも云える。併しそれは只
の飲茶の場合であって、決してそのままでは茶の湯にならず、まして茶の道
とはならない。只茶を飲むのではなく、飲む次第が出来たり、飲むことを楽
しんだり、美しくしつらえた室で飲もうとしたりして、それが漸次茶の湯に
高まると、自からそれにそぐわぬ器は棄てられ、相応しいものが選ばれて来
る。
元来は茶を飲むための器に過ぎぬとも考えられるが、寧ろ器の美しさが更
に茶を飲む心を誘ったのだとも云えよう。私の云おうとするのは、茶が器を
招いたとしても、器が一段と茶を招いたと考えたいのである。古く台子が用
いられたというが、台子の美しさが「台子の茶」を招くに至ったのである。
物の美しさに打たれることがなかったら、茶の湯には熟さなかったであろう。
月並なもの醜いものが、態々茶器に選ばれる機縁があろうか。「茶」は美し
さの世界に場所を占める。それでこそ茶道になり得るのである。器物を選ぶ
のは美しさの世界に深く入ろうとするからである。それが美しければ美しい
ほど、茶の湯を更に茶の湯にする。特にそれが道に高まる時、器の美しさも
亦道に適うほどの高さを持たねばならない。それ故、茶の湯と、美しい器物
とは、もはや切り離すことが出来ない。
だから器物の美しさに冷やかな人は「茶」を行う主要な資格を欠く。茶器
は何なりとかまわぬと言い張る人は、美しさのことに無関心なるが故であろ
う。器を選ばないのは、美しさを見る眼の持ち合わせがないことを告白する
に過ぎまい。眼のきく人なら、器なら何でもよいとは、よもや云うまい。取
捨された器にして始めて茶器となるのである。だが少なくとも「茶」に心を
寄せる人は、器に冷やかではいられないであろうから、これ等のことに関し
てはさしたる問題も起こるまい。それよりも茶器にまつわる病いが別にある
のである。二つの大きな場合を挙げることが出来よう。
第一は、茶器を選び乍ら、その選び方に誤りがある場合である。佳し悪し
を述べ乍ら、その判断に間違いがある場合である。それ故、しばしば起こる
ことは、醜い物を美しいと思い込んだり、又美しい物を美しいと受取らなかっ
たりする。それ故その判断が誤っている時でも、その誤りを自覚する力が足
りない。その結果用いる器は必ず玉石が混合する。否、玉石の差別がつきか
ねるのである。所詮は正しい又鋭い眼の人でないことを示して了う。たとえ
茶器へは敬意や情愛があるとしても、醜いものを醜いとしないのは、美しい
ものを美しいとしないことになろう。つまらぬものをまで熱愛したとて何の
甲斐があろう。こうなると美しい物を熱愛したとても正しく理解してはいな
いことになる。こういう人達に、ひとかどの自信を持たれては始末におえな
い。分からぬくせに分かった顔をされてはこまりものである。残念なことに
茶人を以て任じる人で、この病に犯されていない人は寧ろ少ない。多くの場
合茶人達の選択は誠に曖昧なものである。
だが器物については第二の病いがある。初期の茶人達が出てこの方、名器
が数え挙げられ、その型や寸法までがほぼ決まってくると、後代の茶人達は
そういうもののみが茶器として値打ちがあるのだと判断するに至った。つま
り佳器として「茶」に選び得るものは、しきたりの約束を守るもの以外には
ないと考えるようになった。言い換えると「名物」の型を離れたものには、
茶器たるの値打ちを見ないことになる。進んではその型以外のものは、茶器
にはなれぬと思い込んで了う。前に挙げた第一の病いは「選択の曖昧」であっ
たが、この第二のものは「選択の狭隘」とでも名づけようか。従って見る眼
が局限されて自由がないのである。眼が放埒では、選択が乱れるが、反対に
拘束されると、視野が窮屈になる。前に述べた箱書に便る病いもその一種と
も云えるが、初期の茶人達は茶器ならざるものから茶器を選び出す自由を持っ
ていたのである。そこには見方を縛る型はなかったのである。美しいものを
美しいとして取り上げたのである。その自由な取上げ方が実に素晴らしかっ
たので、選ばれたものが、美しい品の手本となったのである。併し初期の茶
人達は、それ以外に茶器はないなどと決して言っているのではない。実は後
世に生まれ、特に現代に生まれた茶人達は、初期の人々よりずっと恵まれた
境遇にいて、彼等より遥かに多くの品物を見る機会に廻りあっているのであ
る。今の吾々に必要なのは、再び自由な見方を甦えらすことである。茶祖達
が持ち得たその自由である。彼等は美しいものを美しいとしたのであって、
型に当てはまる故、美しいとしたのではない。だからこそ茶器でないものを
茶器に為し得たのである。この意味で彼等は創作家であった。真の茶人は常
にかかる創作家たるべきである。若し代々の茶人達がこの自由の持主であっ
たなら、名器はどんなにその数を増し、種を殖やし得たであろう。
眼にはどこまでも自由があって欲しいものである。今の多くの茶人達には
この自由が欠けるし、又この自由を持とうとさえせぬ。そうして型ばかりを
後生大事にしたがる。だんだん後代の茶器に精気がなくなっているのはその
故である。茶器にも絶えざる成長がなければならぬ。なぜ今の「茶」はこの
成長を障げようとするのであろうか。
十
茶礼に貧富の差異はないはずである。貧しい者とても「茶」をたしなむこ
とが出来る。誰だとて許されているのが茶事である。否、人間の茶事である
からもともと公有のものであると云ってよい。併し事実はどうであろうか。
茶事のことに詳しい或る学者に会った時、どんな「茶」が「茶」として一
番優れたものかとの話が出た。私がやはり禅宗で説くような「無事」の「茶」、
「平常」の「茶」が理念たるべきだと述べたら、その学者は、そんなもので
はない、「晴れの茶」が茶事の至極だという。私は一寸驚かされた。「晴れ
の茶」とは何なのか。少しく解しかねる言葉であるが、要するに著名な諸道
具がよく揃い、結構な茶室で行われる茶の湯のことを指すらしい。その学者
は、或る金持の茶人を大変賞めていたのを記憶している。
思うにそういう「晴れの茶」は、金持以外には今は行えぬ。先日聞いたと
ころでは、今から十五年ぐらい前にそういう「晴れの茶」を行うには、少な
くとも五十万円ほどに該当する資力が要るとのことであった。それは茶室、
茶器、料理などの凡てを含むからさもあろう。特に「名物」ものなどが加わ
るから、その当時の市価に見積もればそうなるに違いない。これを今の価格
に換算すると、その十倍ですら、五百万円、百倍とすれば五千万円の価格の
ある茶会になる。これが「晴れの茶」の避くべからざる性格とすると、只金
持のみが行い得る茶会である。だから貧乏な民衆とは縁の切れた茶事になる。
なるほど名器ぞろいの茶会なら、それ自身結構な筈であるが、果たしてそう
いう茶会が常に一番優れたものであろうか。
私の考えではそういう茶会は金力が何よりも、ものをいうのであって、心
の力が先立ってのことではあるまい。金があって物を所持していたとて、そ
の人が直ちに「茶」へのよい理解者であることを保障しない。又それが直ち
に眼力の人であることを意味しない。否、多くの場合、(凡ての場合とは云
えぬが)金持たることと、真の茶人たることとは中々両立し難いところがあ
る。クリストは金持が天国に入ることは駱駝が針の目どを通るよりも尚むづ
かしいと云ったが、富者には富者たるための強みと弱みとがつきまとう。前
者は物的な境地での強みで、後者は心的な世界での弱みである。金持で清浄
な人になるのは中々困難なのである。それ故、茶の道に徹するというような
精神的な性質にはとかく縁遠くなる。金持の茶会に列すると、とかく持ち方
も大層で、用い方も派手で、渋みなどは失われがちになり、それに何か金力
で自慢をしているところが見えすいていたり、又如何にも偉そうな仕ぶりや
話ぶりが目についたりして、いやみなもの多く、枯淡を慕う境地などからは
凡そ遠いものである。なぜそうなるかは、第一金力が基礎になっている茶会
だからだと思う。金力があって必ずしも悪いわけではないが、只それが一番
大きな基礎になると、深い「茶」は到底望むことが出来ぬ。金持の「晴れの
茶」は、金力権力の「茶」に落ちるもの多く、そんな「茶」に「茶」の帰趣
があるわけがない。
それに目につく一つのいやなことは、金持に媚びおもねる茶人や客が、つ
きまとうもので、如何にも大した「茶」だという風に感歎する。金持には太
鼓持がつきものになる。よく出入の道具屋などに、そういう性格の者が現れ
る。こういう現象は凡て金権に伴う宿業だと云ってよい。「晴れの茶」が金
持の手に在る限り、それが深い茶会となる機縁は少ない。少なくとも莫大な
金がなくば出来ないような茶会は、それ自身大きな弱味を持つと云えよう。
太閤は金色の茶室、黄金の茶器を用いたというが、悲しい哉これが彼の如き
者の哀れな一面である。だいぶ前のことになるが、米国で日本美術展が催さ
れた時、日本から銀製の茶器一式を出品したことがある。それが向こうで物
笑いの種になったそうである。品物も品物だが、これを選んで態々送った役
員の馬鹿さ加減にはあきれざるを得ぬ。
もとより貧乏を極めたら、これ亦「茶」を行うことがむづかしくなろう。
併し普通の庶民なら充分よい「茶」が行える筈である。何も名だたる名器が
なければ、良い「茶」が行えぬとは限らぬ。眼さえあるなら、無銘の品から、
充分佳い品を選び出せよう。心が深まるなら質素な「茶」で充分「茶」の世
界に浸ることが出来よう。「茶」は人間の階級で左右されるようなものでは
あるまい。ほどほどの暮しをする者が、却って恵まれた境遇に在るのだと云っ
てよい。贅沢をするより贅沢を為し得ない方が、一段と恵まれた生活だとも
云える。贅沢には幾多の危険が伴うからである。「晴れの茶」は却って見事
な「茶」とはなり難いのである。もっと当り前の「茶」に「茶」の輝きが更
に現れ易いであろう。金力はしばしば「茶」を濁す力だと知ってよい。金持
は決してよい茶人にはなれぬとは云えぬが、中々なり難いのは事実である。
結局俗人に終わり易いからである。風流人は金に恬淡であろう。少なくとも
金力などに便りはせぬであろう。茶人にはどこか脱俗的な所があるべきであ
る。茶人と金持とを結びつけることは必然さからは遠い。
かく考えると、将来の「茶」は寧ろ「茶」を金力から解放すべきではある
まいか。「茶」が「晴れの茶」を待望する限り、深い「茶」には成り難いと
知る方がよい。「茶」にはもっと自由があるべきである。普通の「茶」で、
充分誠の「茶」があり得るのである。「茶」も亦「民の茶」でありたい。
名器が高価となるのは当然であり、かかる高価なものを用い得る資格は金
力に待つより仕方ないであろうが、名器を今までの著名な器に限るから、そ
のような不自由が来るのである。有難いことには、初期の大茶人達すら見る
を得なかった美しい器物が、この世にはまだ沢山あるのである。それを選び
出す力量さえあるなら、名物に匹敵する佳品を値安く手に入れることは、さ
して難事だとは云えぬ。金力よりも眼力の方がずっと優れた働きをする。金
力では出来ぬことまでする。これがあれば充分に「茶」を過剰な贅沢から救
うことが出来る。私がほどほどの富で充分だというのはその故である。ほど
ほどというのはごく並の程度を指してのことである。富の余裕はそうなくて
も心の余裕があればそれを補って余りある。もとより余りにも貧困では、そ
の心の余裕をすら閉塞しよう。この不幸は「茶」との縁を遠ざけて了う。丁
度余りにも金持であることが「茶」を汚すのと同じである。どんな階級の人
にも「茶」はあり得るが、中位の人に最も恵みが深い。このことは大多数の
人々と「茶」とが深い結縁にあることを示すであろう。「茶」は何よりも、
一般の人々の「茶」である。金持にならねば「茶」は行えぬとか、金持の
「茶」が一番立派な「茶」だなどと考えるのは大きな誤りである。寧ろ金持
になると誠の「茶」は行いにくいのだということをよく識る必要がある。茶
境は簡素の徳ともっと結縁が深いのである。贅沢はその徳と一致し難いとこ
ろがある。万一金持で優れた茶人がいるなら、その人は「茶」を金力などに
は委ねぬであろう。そんなものを二の次に廻すであろう。「茶」を「茶」に
するものが、もっと他にあるからである。金力に便る時、「茶」は病いにあ
ると気付くがよい。
十一
民主主義の今日にあって、最も呪われているのは封建制度である。封建制
度の一切が悪いとは云えぬが、併しその弊害が極めて多い現状では、それを
打破しようとする企てに歴史的意義を感じる。幸にも多くの面でそれが覆え
されたが、中には依然として旧習を固守するものがないではない。日本の社
会に大手をふってそれを行っているものが二つある。少なくともこの二つは
封建制度の典型的なものと云ってよい。一つは真宗本願寺に見られる東西大
谷家を中心とする法主制度で、他の一つは家元、特に表裏両千家を中心とす
る封建制度である。前者に関しては別の個所で論じることとしよう。ここで
対象となるのは家元に関してである。今の茶の湯は、不思議なくらい家元中
心主義である。家元というと宛ら茶界の王の如く取扱う。その存在は極めて
貴族的な封建的な性質を帯びる。何故家元がそんなにも有難いのであろうか。
千利休の末裔だから有難いのでは筋が通らぬ。脈々とその伝統を受け、秘伝
を承ぐ者であるから尊いのであろうか。茶事に巧者であったり、よい茶室や
よい茶器を伝えているからであろうか。又点茶の型がそこに於いてほどよく
保存されている場合が他にないからであろうか。
法主や家元に共通する一つの特質は代々世襲だということにある。併し世
襲する者が、常に誰よりも正当な茶人だと誰が保障するのであろう。根本的
な無理が実はこの世襲制度に潜んでいるのである。なぜなら家を継ぐ者が、
必ずしも最もよく法を継ぐ者とは云えないからである。中には千家に生まれ
たために、単に世渡りの道として茶を教えている者がいよう。中には「茶」
のことなど才能的に分からぬ者も出よう。中には美しさのことに全く盲目な
者も現れよう。まして禅に深まる茶道の如きは、てんで分からぬ浅薄な跡取
も現れよう。千家に生まれた者が凡て第一流の茶人だとは決して云えぬ。否、
大茶人などそうざらに出るわけがあるまい。それなら世襲の家元を、無上に
有難がるのは、おかしなことではないか。こんな明々白々な事実を無視して
まで家元を神様の如く扱うのは別に理由があるからだと思われる。ここに封
建制度の典型的弊害が見られるのである。
面白いことに「茶」には免許制というものがある。ひとかどの茶人となっ
て、人にも「茶」を教えるためには、客観的な資格に、ものを云わせねばな
らない。その客観的保障を「許し」と称し、その許可権を家元に持たせてあ
るのである。それを持たせてあるものを家元と呼ぶのである。千家を承ぐ者
の凡てにそんな権威が元来ある筈がない。前にも述べた通り名実共に茶人の
資格のない俗人が、家を継ぐ場合があるからである。所がそんなことには関
係なく権威を持たせる。なぜであろうか。
現状を見ると、殆んど凡てと云いたいほど経済的仕組みがそうさせている
のである。家元は免許状を出すことによって生活し、貰う方も免許を受ける
ことで自分の生活を立てる。これを持っていないと安心して教わりに来る者
がない。茶人として生計を立てるには、どうしても家元制度にしておくのが
便宜である。謂わば、経済的双互寄食の制度となっている。ここに多くの弊
害が現れて来るのである。
家元を立てることが、自分を立てることになる。家元の方ではこれを活用
して、あらゆる場合に収入を計る。茶会に多額の会費を求めるのはもとより、
箱書とか鑑定とか、又金高の上下で色々応対に差別をつける。昔カトリック
で免罪符なるものを売りつけたというが、今の免許状もこれに類似した性質
のものに陥っている。地獄の沙汰も金次第というが、今の茶界に金銭の力が
どんなに多くものを云っていることか。
千家には十職なるものがあって、茶器を作らせているが、これも今は全く
経済的双互関係に過ぎない。何も工人達の独創的仕事が切り拓いた名声では
なく、その十職という看板で商売をしているに過ぎない。今日出来るものを
見ると誠に陳腐な作に過ぎないものが多数を占める。一種の独占的企業体の
如きものに仕上げて、くだらぬ作にまで箱書を添えて勿体をつける。そうし
てこの十職の作を用いる者に、ひとかどの茶人としての存在を認めるように
仕向けてあるのである。名実伴わぬかかる不合理が世間に通る所以は、全く
経済的理由からこれを説明するよりほかに道はない。なぜなら前述の如く、
千家の人必ずしも大茶人ではなく、十職の人必ずしも皆名工だとは夢にも云
えぬ。実際には茶人としてもあやしく、工人としてもくだらぬ者が多いので
ある。例えば今出来る「楽」の如き、実につまらぬ凡作だと云えよう。それ
が大した値を呼ぶのである。不思議なからくりというよりほかはない。千家
とその周囲は、人工的な権威の組立てに過ぎない。こんな組織に茶道を依存
させてよいものであろうか。
茶道を早くこの不合理な封建制度から解放させねばならない。私の考えで
は、若し家元制度を持続させようとするなら、世襲を中止し、厳密に後継者
を選択して、家元を承がせるか、又は一代の茶人を選挙によって定めるがよ
い。又十職も、力量ある者を推挙してこれに代わらしめるがよい。名実伴っ
た者をこそ後継者とすべきである。家元にはもっと実質的な権威がなければ
ならない。そうして金銭で免許状を売買すべきでなく、実質的に茶精神を体
得した者にのみ、授けるべきである。謝礼にも亦不当な性質があるべきでは
ない。今は余りにも免許状を受ける者、売る者、買う者が多過ぎる。もっと
そこには厳しいものがあってよい。
昔、盤珪禅師は、一般の庶民には所謂「平話」を以て説教したが、法を継
ぐべき弟子の僧侶達を訓育するには極めて厳格で、容赦する所がなかったと
いうが、それでこそ禅宗の命脈が保てるのである。元来禅宗は法嗣を選ぶの
に厳格で、決して世襲制度などに依ったことがない。弟子として寺に入れて
貰うだけでも容易なことではなかった。茶道に於いても正に然るべきで、金
銭で免許状を与える如き不見識なことがあってはならぬ。家元は道元禅師の、
『正法眼蔵随問記』ぐらいはよく読んで自誡すべきである。
又教わる方も、家元ならどんな人物であろうと、無上に有難がるというが
如き不見識を繰返してはならぬ。又金銭で何ものかを購おうとする如き不徹
底な行為に甘んずべきではない。この経済的桎梏から離脱せずして「茶」の
浄化はない。こういう時代に茶人のみが封建制を固守する如きことがあって
はならぬ。今や家元制度の弊害は著しく、この病いを何とかして癒さずば
「茶」の輝かしい発展は望み難い。
十二
金持で茶人を任じる人の家に行くと、殆どきまって道具屋が出入し、茶事
の世話をする。道具屋たることが別に悪いわけではないし、茶道具を扱いつ
けた者に扱わすことは便宜でもある。併し商人だという位置は、色々不純な
ものをかもし、何か「茶」の行事にはそぐわぬものを生じる。金持は大事な
買い手であるから、道具屋はどうしてもこれにおもねる。それ故、しばしば
太鼓持のような役を演ずる。それに商人は商売ということに長く禍いされて、
心の澄んだ者が少なく、それにものの美しさを見る眼も商売本位で見るから、
正常な見方になる場合が少ない。それであるから、道具屋の介在は、何か茶
事の空気に濁りを与える。それに主人が道具屋を使い廻すそぶりも、見てよ
いものではない。
併しこういうことは二次的な禍いとも云えるが、それよりももっと致命的
な禍いは、今や「茶」が半ば「道具屋の茶」に化していることである。或は
「道具屋に隷属している茶」と云ってもよい。もっと直接に云えば寧ろ「道
具屋に引きずられている茶」に落ちたと評してよい。もともと「茶」は道具
を離れてないのだから、茶の湯と道具屋とは因縁が極めて深い。又日本の道
具屋を見ると、大きな店は殆ど凡て茶器を主に扱うことによって経済を立て
ているくらいである。それ故、殊に著名な茶器を手に入れるには道具屋が仲
に介在する。こういう事情は道具屋をして道具に一番明るい人間にさせる。
少なくとも多くの品を扱うから経験的に物識りになるのは必定である。この
ことは道具屋の位置を高め、遂には茶人達の案内役にさえなってくる。況ん
や眼力の乏しい金持になると、彼等の助言なくしては、佳い物を手に入れる
ことが出来ぬ。道具屋は商人であるから、この心理をよく弁えて、金持を引
きずって行く。道具屋で少し巧者な者は、甚だ雄弁家で、売りたい茶器の功
徳を述べることには多弁であり、又勿体をつけることにも怜悧である。かく
して不思議なことであるが、買い手の金持は、諂われ乍ら、実は道具屋の手
中に落ちて、「茶」を殆ど全く道具屋が導く「茶」にして了う。時には道具
屋と金持との間に小茶人が介在し、この小茶人と結託して金持に道具を買わ
せる。こういうからくりは決して珍しいことではない。如何に茶事が商売の
ために濁ってくるかが分かる。又しばしば道具屋の肝入で茶会があったり、
誰々忌など催すが、それは茶器の商売をするための方便となっていることが
どんなに多いことか。
併し何も商売人だから凡て悪いとは云えないし、中には風格のある商人も
いるのであって、商人の凡てをけなすことは出来ない。併し商売人、特に骨
董商の如きは、とかく不純な取引が多くなる傾きがあって、人格を高め浄め
る機縁が薄いのである。こういう商人と、禅茶一味の世界と、どうして容易
に結びつくことが出来よう。茶事に商人の力が加わるにつれて、どうしても
濁りが来るのは避け難い結果である。
誰も気付くように日本に於ける茶道具の価格は誠に病的なものであって、
決して物そのものに応じた正当な価格とは云えぬ。それは主として商人の手
に価格が握られているからであって、品物の相場が如何に商人の奸智によっ
て引上げられる場合が多いことか。悲しい哉、買い手はこれに従う。従う買
い手が沢山出るのである。
併しこのことに関しては強ち商人ばかりを責めるわけにはゆかぬ。買い手
自からに見識がない所から来る惨事だとも云える。特に金持で眼の力が無い
場合、何を標準にして買うか。それには二つよりない。一つは値が高いと、
佳い品だと考える。商人はこの心理に決して盲目ではない。安い値をつけて
は売れず、却って高くつけると売れる場合がどんなにしばしばあることか。
買い手が無知であると、高価を美の標準にする。第二は商人の雄弁な講釈に
たよる。何故値打ちがあるかを聞かされると、そうかと思い込む。それはま
んざら嘘のみではないが、当てにならぬことも沢山ある。特に商売が目的で
あるから、不純な説明が介在する。然るに買い手に自信がないと、その言葉
が、決意に大きな影響を及ぼしてくる。同じように道具屋が認めないものは
買わないし、買えないのである。悲しい哉、多くの買い手は道具屋以下であ
る。これが道具屋の跳梁を許す大きな原因である。この傾きは中々に強く、
今の「茶」で道具屋に引き廻されていない「茶」は少ないとも云える。私が
多くの場合茶会を好まないのは、茶人達のいくぢのない「茶」を見るのが、
如何にも哀れだからである。自主的な「茶」は、もう地を払って了ったので
あろうか。
今の茶人達はいくぢがないと私は云う。皆そうだとは云えないにしても、
大概は家元を無上に有難がったり、道具屋に引きずり廻されたり、値が高い
と佳い品と思ったり、箱書を後生大事にしたり、十職のものだと皆本物だと
思ったりする。決して自分の心や眼が主体となって取捨を施すのではない。
何故に自主的に「茶」を引き立てないのであろうか。全くその力がないから
である。若し多くの茶人達が自主的な「茶」を行い得たら、「茶」は遥かに
その歴史を進め得たであろうし、又ずっと輝かしい貢献を美の世界に為し得
たであろう。茶人にはどこまでも茶人自からの権威があってほしい。いつか
その権威の大部分が道具屋の方に移っているのは、おかしな出来事である。
道具屋も「茶」の歴史には慥かに一つの貢献を為したと云えよう。だが同
時に「茶」を濁した責も負わなければならぬ。否、かくさせたのは更に茶人
自からの、いくぢなさに依るという方がよい。茶人だというからには、見識
も眼力も修行も体験も、商人より一段も二段も上であってよい。寧ろ茶人が
道具商を引き廻すべきである。正しい方向へと導くべきである。その権威が
ない者を茶人と呼べるであろうか。
十三
大体、「茶」に心を寄せるほどの人は、美しい品に心を注ぐ人達である。
それでは彼等の用いる品が凡て美しいかというと、そういう場合が殆どない
のはどういうことか。第一、彼等の選ぶ茶器に殆どろくなものがないのは前
にも述べた通りで、茶会に私が出しぶるのは、大概の場合つまらぬ茶器が出
て、それを一々拝見する馬鹿らしさに堪えぬからである。尤も目の覚めるほ
どの名器にたまには会えるが、すぐ下らぬ品がこれに続くので興ざめである。
このことは前にも記したが、併しもう一つ他に根本的な病いがあるのである。
そうしてこれに犯されていない茶人はいとも少ない。次の事情がそれを語る。
茶事を茶室で行うのは当然だが、一歩茶室を出て、家庭の暮し、不断の居
間、茶の間や台所に入ると、凡そ「茶」の心とは関係のないものが沢山つか
われている。そこには茶室の飾りなどとは凡そ縁のない俗な暮し方が沢山見
られる。何も日々の暮しのすべてが茶事でなくともよいが、併し茶室と茶室
外とが余りにも縁がないと、その茶室は全く只の余所行であって、暮しとは
矛盾したものになって了う。例えば立派な茶室で結構な茶器で茶のもてなし
を受ける。用いるものが凡てわび、さびの現れで、床に掛かっているものも
禅僧の墨跡だったりする。そうして禅茶一味などが説かれたりする。所が一
度その茶室を去って、仮に居間で今度は番茶を出されたとする。その場合用
いる土瓶や急須、茶碗や茶托、盆や皿、それ等の凡てに茶の心が入れてある
かというと、所謂「茶器」ではないためか、大概の場合なげやりである。多
くは月並みなもので中には俗なものさえ色々まじる。居間にある箪笥、机、
文具などよく選ばれているかというと、案外なものが平気で用いられる。牀
の置物などにも、ふた眼と見られぬ彫ものなどが据えてある。軸ものとても
低調なものがいたく多い。茶室には「茶」が濃くても、不断の暮しには「茶」
が薄い。台所で用いる甕、鉢、櫃、薬鑵、杓子などに至ると、更に無頓着な
場合が多い。併しこれでは茶人としての暮しに矛盾があろう。
何も不断の暮しに一々名器など用いずともよい。そんなことは不可能であ
り又不必要でさえあろう。だが「茶」は一つの美の標準を吾々に与えている
のである。どんなものも一応この標準で整頓されてよい。少なくとも真の茶
人なら日々用いるものに、筋の通った品を選ぶようになるのが当然である。
茶室だけより茶意に適ったものを用いないのは、「茶」への求めが稀薄なた
めと云えよう。
今の「茶」がとかく茶室内の「茶」であって、露地より一歩出ると「茶」
が消えてゆくような「茶」なのはどういうことか。私の考えでは、茶室は一
個の道場のようなものである。ここで修業した見方を、日々の暮しに深く交
えてこそ始めて茶室の「茶」が活きてくる。否、或る意味では不断の暮しこ
そ大切であって、ここに茶生活の基礎がないと、茶室の「茶」は嘘ものになっ
て了う。信者が日曜日だけ教会に行ってお祈りをしたとて、残りの日に祈り
がなくばおかしなことになろう。行往座臥の祈りの生活を教えるのが日曜の
行事ではなかったか。茶室は茶室でよいが、他の室々も必然にその延長であっ
てよい。決して凡てを茶室にする必要はないが、茶精神は貫いてよい。暮し
と茶事とが余りにもかけ離れているのを見て、今の多くの「茶」には嘘があ
ると思われてならぬ。そうしてこの嘘がある限り、「茶」を修した者とはよ
もや云えまい。茶室だけに茶事が終わっては誠にこまる。私は不断の「茶」、
茶室でない折の「茶」の意義を重くみたい。これが確かだと茶室の「茶」は
愈々本ものになろう。茶室でとりすましたときだけの茶人ではこまる。不断
の人に茶人の面目があってよい。「茶」を、茶室に限る「茶」から解放すべ
きではないか。
十四
茶事に心得が出来ると、とかくやりたがることの一つは、茶器を作りたが
ることである。ひと渡り「茶」のことを知り、茶器の約束などに詳しくなる
と、自からで作るか、監督して作らせる慾を起こすものと見える。驚いたこ
とには殆どどの窯場にも茶人が口を入れて、茶器を焼かせているのを見かけ
る。併し結果はどうであろうか。私のように殆ど諸国の窯場を見ている者の
眼からすると、この茶趣味の介入ほど、窯を毒しているものはないのである。
折角見事な民器を焼いているのに、強いて茶器を焼かせて、それで窯場の格
が上がるように思い込ませる。だが本当の茶器はそんななま易しいことで出
来るわけがない。
第一、焼物は、(他のどんな工芸の部門でもそうだが)素人の携わり得る
ものではなく、素地、釉薬、焼成その他、並々ならぬ専門的知識や体験を要
するのであって、茶事を心得ることが、直ちによい焼物の出来る資格にはな
らぬ。傍から口でとやかく註文した所で、仕事の方で容易に受けつけるもの
ではない。大概の窯場で試みる茶器を見ると素人くさくて見すぼらしいのは、
自業自得の果と云わねばならぬ。まして茶事に詳しい人、必ずしも美の見え
る人ではない。末期的な弱々しい趣味の現れに過ぎないものがどんなに多い
ことか。茶人は必ずしも作家ではないし又職人でもない。こういう人達がえ
て窯場に携わって茶器を焼かせるのは、僭越というのか愚かというのか、誠
にこまりものである。私は或る焼物の学者が、窯場を指導している例を知っ
ているが、作るものはひどいものである。柄にもないことは、しないがよい
のである。たとえ本気になって凡ての仕事を擲って焼物の業に身を入れたと
て、尚かつ容易には完成し難いのが焼物の仕事である。少しぐらい茶心や知
識があったとて何の力になるであろう。実に至る所の窯場で見られる所謂茶
器ほど見すぼらしく又見苦しいものはない。中にはこれがために全く駄目に
なって了った窯場すらある。有名な伊部焼の如き、既に不治の病いに入って
今は殆ど見るべき品がない。若し昔の如く雑器に帰ったら、ずっと茶器とし
て取上げてよいものを産むであろう。
誠に日本の窯場を毒しているものは茶趣味である。元来、初期の名器が、
茶趣味から作製されたものでは決してなく、実用の雑器であったということ
を心に銘記する必要がある。何も茶器として初めから作られるものが、凡て
茶器になれぬとは云えないであろうが、悲しいことには茶趣味が造作に仕事
を終わらせ、無心の域には達し難いのである。唐物の茶入にしろ、朝鮮の茶
碗にしろ、凡てが雑器民器で、決して元来は茶器でなかったということを、
ゆめ忘れてはならぬ。
それ故日本の窯場を廻って、純然たる雑器を伝統的に作っている所に来る
と、真に茶器に取上げてよい数々のものを見出すことが出来る。誠に茶器な
らずして自から茶器なる様は、元来が雑器であった初期の茶器と大に通じる
ところがあるのである。そうして見事なそれらの雑器、即ち茶器として取り
たてたいそれ等の器物は、少しだに茶趣味から発生したものでないことを、
よく知る必要があろう。諸国の民器は私達にこの事実を告げる。
茶人達よ、決して素人の君達には、茶器を焼かせる資格がないのだという
ことを反省せよ、若し焼きたいなら、本当に身を打ち込まねばならない。そ
れでも事は容易でなく、十中の八九は、みじめに失敗することを覚悟されよ。
君達の愚かな介入のために、どんなに日本の窯々が毒されているかを目撃し
ている私は、この警告を発しないわけにゆかぬ。名器はそんな安価な態度や
立場から生まれるわけがないのである。日本の焼物の多くは茶の病いの如実
な象徴とさえ云える。徒らに後昆に恥をさらさないように自省する必要があ
ろう。
十五
『臨済録』に「無事は是れ貴人、ただ造作するなかれ」と記してある。こ
の言葉こそ、以て茶人の座右の銘としてよい。畢竟「無事の美」ということ
が、茶美の至極であって、それ以外にあろう筈がない。井戸茶碗の美しさは、
この無事の美の如実な現れに外ならぬ。この無事ということを、別の言葉で
言い直して、親切にも「造作するなかれ」と教えているのである。「茶」に
とっての禁物は「造作」即ち「作為」だと分かれば、「茶」はどんなに正当
な性質を取り戻すことであろう。だが茶禅一味を口にする茶人達で、この臨
済禅師の教えを、よく味わって自からを省みる者の少ないのはどういうわけ
か。前にも触れたが、わざとらしい作法や、風流を気取ることや、徒らに趣
好をこらして往々駄酒落に近いものに落ちたりするのは、何れも造作の過ぎ
たもので、そんな所に「無事の茶」はいない。最も多く見られる例は後代の
茶器で、例えば「楽」などにも現れているが、わざと形を歪めたり、でこぼ
こを附けたり、篦でけづり目を残したり、色々な技巧をこらす。これを雅致
だと誤り伝えているが、茶禅の立場からすれば、凡そ的はづれであって、造
作も造作、無事とは天地の距りがあろう。そういう品を風雅な茶器と想い誤
るほど後代の茶人達は盲目になっているのである。
「井戸」などに見られる歪みや疵や、肌の荒々しさは、自然にそうなった
までで、何の作為も施してはいないのである。「井戸」は純然たる雑器であ
るが、「楽」にその性格はない。「井戸」の歪みと「楽」の歪みとは、無事
と有事との対比だと云ってよい。その間には根本的な差異が見える。これを
省みる茶人の少ないのは、どうしたことか。この作為の病いこそは、「茶」
に滲みこんだ「膏肓の病い」と呼んでよい。「井戸」の美は「無事の美」だ
と、その茶碗は教えているのに、有事の「楽」を作って楽しむとは、どうい
う錯覚なのであろうか。今後はいざ知らず、兎も角今までの「楽」で無事の
美に達しているものはない。有名な光悦と雖も未だしである。茶道は特に臨
済禅と深い結縁を持つが、その祖師臨済の教を裏切って、有事に執し、造作
に「茶」を沈めるとは、何たる仕業なのであろうか。「茶」はどこまでも
「無事の茶」一道であるべきである。さもなくば、どうして「道」たること
が出来よう。何の面目あって牀に禅家の墨蹟を恭々しく掲げるのであろう。
ギョウ
茶事を行うとは、「無事」を行ずることでなければならぬ。有事に始終する
この頃の「茶」は、「茶」とは到底云えぬ。
因に云うが、私は雑器でなくば決して茶器にはなれぬと述べているのでは
ない。意識に立つ個人陶だとて、茶器の位を得られぬわけはない。只その道
が難行の道であるため、容易に無事の域に達することが出来ぬのである。達
し得た時は、それが雑器の性格に見られる如く造作から解放されたものとなっ
ていることを見出すであろう。
無事という言葉は、自在とか無碍とかいう言葉に置き換えてもよい。今の
「茶」にはそういう自在がないのである。意図に囚われ、雅致に捕らえられ、
作為に沈み、金銭に落ち、どこにも無碍な境地を示さない。併し本来の「茶」
はそんな不自由さを許さぬ筈である。多くの茶人が尊んだあの井戸茶碗は、
その無碍な境地から生まれていることを見ないのであろうか。今の多くの茶
人達が「井戸」を崇めるのはとてもおかしい。それが無事の美と了得出来た
ら、自からの茶事を省みて穴にでも入りたい想いがするであろう。先年大名
物「筒井筒」が百数十万円で売買されたというが、それは美しさを見得ての
値段ではあるまい。有名さに囚われての値だというに過ぎまい。「筒井筒」
も浮かばれない想いがしているであろう。何処かに端的に「無事」を見、
「無事」を行ずる茶人はいないものか。茶道に再び生命を打ち込むために、
そういう茶人の出現を迎望して止まぬ。一切の病いを超えて、健やかな「茶」
が再び建てられねばならぬ。
以上私は「茶」にまつわる多くの病いを挙げた。いつの時代だとてこうい
う病いはあったであろうが、恐らく今の時代ほどそれが重くなっている時は
ない。既に病いは膏肓に入って中々癒し難いまでになっているが、それだけ
に早くこれを直さずば、徒らに世の嘲りを受け、時代にとりのこされるもの
となろう。「茶」の歴史を見ると正に功罪相半ばしているのであって、輝し
く又深い一面があると共に、暗く愚かな面が著しく目立つ。特にその封建性
は「茶」の癌であると云ってよい。早く切開せずば死は近いであろう。徒ら
に千家を有難がる如き、金銭で宗匠の位を売り買いする如き、型を型に死な
しめる如き、愚かな茶器まで美しいと思い込む如き、他にどんな美しい品が
アキメクラ
あっても明盲目になる如き、茶事に巧者になるとひとかどの茶人だと思いこ
む如き、高ぶったり気取ったりする如き、金持の晴れの茶なら大したものだ
と思い込む如き、誠に愚の骨頂である。まして茶禅一味など口にするが、宗
教のことなど、どんな修行や思索を廻らしたのか。今の「茶」ほど禅を離れ
たものはあるまい。「生れ変らずば」とイエスが鋭く云った言葉など想い出
される。
大体茶道は一種の美の宗教だと云える。東洋、特に日本で発達した美意識
と仏法とがここに結合し、世にも稀な道となって発展して来たのである。こ
れは日本の持物として、後代への大きな遺産である。それだけにその健全な
発達を守り育ててゆかねばならぬ任務があろう。それには多くの病いを治療
せねばならぬ。苦い薬も飲まねばならぬ。私のこの一文はその良薬たらんこ
とを欲するものである。
(打ち込み人 K.TANT)
【所載:『心』 昭和25年3・4・5月号】
(出典:新装・柳宗悦選集 第6巻『茶と美』春秋社 初版1972年)
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